2006年09月02日

旅たちの日

新人研修最終日、研修終了後スタッフと新人で打ち上げをやりました。

テーブルで研修の思い出話やこれから赴任する先について盛り上がっていました。

つきない話に時間もいつの間にか過ぎ、終了時間が迫った頃、新人たちが一人ひとりに私の送る言葉が欲しい、と言い出しました。

そこで私なりに彼ら一人ひとりに感じたこと、思っていることを正直に話しました。

皆私の励ましとも独断ともいえるような、勝手な感想・意見に真剣に耳を傾けていました。

女性の新人で、非常にやる気と独自性がある人にいろいろ私の感想とこれから望むことを話したんですが、話し始めるとすぐに目が潤み始め、涙がポロポロこぼれてきました。


彼女は高校のときクラスでいじめにあい、そのいじめに真っ向から対抗したという武勇伝を持っていました。

納得いかないことには真っ向から戦い、決して屈することはしない、という彼女の強さに私も感服していましたので、どこへいっても大丈夫だろうし、今後自分なりの人生を自分で歩んでいくんだろうなと思ってました。

恐らくその通りだろうし、これからもきっとそのように生きていく人だろうと思っているんですが、彼女をみていると、どこか引っかかるんです。

精神的には自立してるだろうし、環境にも適応していくだろうと思うんですが、どこかで無理して自分を作っているように思えたんです。

私は彼女に、その強さをいい方向に自分で持っていって欲しい、でも、周りや心理テストで分かる自分の強さに余りとらわれないで、もう少し楽に無理しないで生きてもいいよ、といいました。

とたんに大粒の涙が出始めました。

最後の晩で、来週から仲間もばらばらになり、色々な感情があふれたんだろうと思います。

二次会で彼女がほかの仲間と話しているのを聞きました。

新人たちは研修中ウィークリーマンションに宿泊し、平日は合宿みたいに生活してますが、土日は自由です。

彼女は、就職するまで家にいても親とはほとんど話しをしなかったようですが、研修が始まってから、土日はほとんど家に帰り、親と話すようになったそうです。

彼女が両親とどいう関係にあるかは分かりませんが、少なくとも研修が始まってから彼女自身の中で、着実に変化したものがあるのでは、と思いました。

多分それは本当の自分を見つめる気持ち、受け止めようとする気持ちが芽生えたのかな、と勝手に思いました。

理不尽さに負けないで、最後まで戦え、という構えも、もしかしたら小さい頃からそういわれてきたかもしれない、と思ってしまいました。

涙が、自分を受け容れる構えのほんの兆しだとしたら、私は、彼女の真の自立を確信します。

自分を変えるというのは大変なことですが、それは今まで築いた価値観を意識して壊し、本当の自分を受け容れることだからではないか、自分の価値観を自分で認識するのは本当に難しい。

なにせ全く当たり前だと、自分で思い込んでいることばかりだからです。

朝起きてご飯を食べ、電車で会社や学校へ行き、勉強や仕事をし、友達や仲間を作り、クラブや趣味の時間を大切にし、自分の人生を作っていかなくてはいけません。

この自分の人生、というのが曲者ですね。

自分の人生というのが本当にあるのだろうか。

自分がやりたいと思っていることは、本当に自分の意思だろうか。

周りの期待や意見によって、いつの間にかそれが自分の人生なんだ、と思っているのではないか。

こんなことを考え始めると、自分とはなにか、という迷路に入ってしまうような気がします。

迷路から出れる人、出れない人、迷路を壊す人、迷路自体感じてない人、人は様々でしょうね。

私は集中力があまりありませんのですぐ考えるのをやめちゃいます(笑)。

そして、目の前のことを一つ一つやっていくしかないな、と勝手に達観してます。

自分はなにか、恐らく誰も教えてくれないでしょうから、もし迷ったら、この命題を時々思い出しながら、少しずつ進むことにしてはいかがでしょう。
posted by kurasan at 08:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントありがとうございました。

『自分がやりたいと思っていることは、本当に自分の意思だろうか。

周りの期待や意見によって、いつの間にかそれが自分の人生なんだ、と思っているのではないか。』

私は自分の意思というもので生きているつもりですが、その自分の意思というものが周りの大切な人によって作られています。

本当に自分だけの意思で人生を形成している人なんていないと思うし、そんな人は少し寂しい気がします。

私も実は今新人社員研修中です。会社における新人研修というものはその人の個性を伸ばすものというよりも、一様に優秀な人間を育てるものなのでしょうか。そんなくだらないことを疑問に持ちながら日々一生懸命働いています。

それではまた拝見させていただきます。こちらこそよろしくお願いいたします。
Posted by sido at 2006年09月03日 00:05
ご返信いただきありがとうございます。
私は自分自身の新入社員研修を経験して、絶対この仕事だけはしたくない、と思いました(笑)。sidoさんのおっしゃるように、とにかく会社にとって必要な、優秀な社員を作る製造所みたいに感じたからです。ちょっといいすぎかもしれませんが、空々しさを感じていたのです。
でも気がついたら、絶対やりたくなかった仕事に、人生の大半を使ってしまっています(笑)。人生って分からないものですね。
今から考えると、私が空々しさを感じたのは、自分を変えたくないという思いと、社会人になる自信がなかったからではと、今思います。
会社は優秀な社員を求めます。自分が社長になればきっと自分もそうなるでしょう。ただ、何をもって優秀とするか、が問題、いえ課題なのでは、と思ってます。
営業部隊の第一線にいるマネジャーは成果をだせる人間を求めます。当たり前ですけど。でも、成果をだせる可能性は、どんなタイプの人にもあり、それを引き出せるかどうかが会社の一つの使命だと考えます。私が新人に期待するのは、自分なりの方法で成果をだせる、自立した社会人になってもらうことです。そのためには、必要な知識、スキルは身につけなければならないでしょう。それを使いこなせるようになり、先人たちの築いた経験、財産に精通してから、初めて自分自身の色を出していけるのではと思います。
最初はある部分、真似ることが必要ですね。でないと時間もかかり、苦労するでしょう。私がそうでしたから(笑)。それでもいいと私は思うんですけどね。本人が簡単にあきらめなければ。
Posted by sidoさんへ・・・・・・・ at 2006年09月03日 13:43
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