2006年08月31日

救命救急実習

先日、新入社員と一緒に救命救急の実習を受けました。

知識としてはすばらしいもので、知っているのと知らないのでは実際の対応は全然違うでしょうね。

しかし、この知識はそれほど使う機会がないと思われるので、だんだん薄れていく気がします。

ただ、AEDといわれる除細動器の使用法についての説明、実習は圧巻でした。

倒れている人にビニールのパッドをつけ、除細動器のスイッチを入れると、除細動が必要な場合、「除細動が必要です。」という声がし、充電が始まります。

心室細動になると、身体中に血液を送る左心室がブルブル震えて、身体に十分血液がいかなくなってしまいます。道の途中で人が倒れていたら、果たしてこんなに手際よく、順序だてて、実習の通りできるのだろうか、と思ってしまいます。

でも、もし自分の身内や知り合いが倒れていたらきっと全身全霊をかけて対処するのではないでしょうか。

もしそうなら、それはなぜか、考えてみました。

知らない人だともしかしたら躊躇するかもしれない(もちろん、しないかもしれません)。

知っている人だと躊躇しない。

救命救急の場合、相手が誰だろうが躊躇しないのが当たり前ですよね。

その場に立たされたら、考えている暇などないと思います。

きっと誰でもできる限りのことはするでしょう。

そのときでも、知っている人とそうではない人では違うかも知れません。

人が倒れているという緊急事態でも躊躇するのはどんなときでしょう。

もしかしたら自分が人工呼吸したせいで取り返しのつかないことになるかもしれない。

もしかしたら後で訴えられるかもしれない。

もしかしたら周りの人が私の不手際を責めるかもしれない。

もしかしたら・・・・・・

まあ、大変なときにこんなことを考える暇もないかもしれませんが、自分が取り巻きの立場で見ていたらありえるかもしれませんね。

この思考には共通点があるような気がしますね。

つまり、涙ぐましいほど、自分をかばってるんです。

これを自己追求というのでしょうか。

常に自分はどうか、自分はどう見えるか、自分はどう思われるか、自分は・・・・という感じですよね。

自分にとらわれている。

失敗とか、できない、とかいう自分を受け容れたくない、というような気がします。

そうするとますます、やっぱりだめだ、という思考の悪循環が始まる気がします。

だめでもともと、AEDを今使わないと、この人死んでしまうかもしれない、すぐやらなくちゃ、というパターンは自分のできる範囲で自分を受け容れていて、しかも自分のことより人のことを何とかしなくては、と行動してます。

このとき、人は自分を解放している、つまり解き放つことができるのではないでしょうか。

救命救急の実習でこんなことを考えました。
posted by kurasan at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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