2006年08月15日

捨てるということ

「捨てる生き方(ハキジン出版)」という本があります。

佐藤康行さんという方が書いてます。



捨てる、というと、私は一時期一生懸命覚えた、あの有名な般若心経を思い出します。

佐藤さんが仰ってるのは、難解な般若心経を分かり易く解説してくださっているような気がします。

でも、捨てるって、難しいですね。何のために捨てるか。

それは、苦を取り除くためである、ということになるでしょうか。

苦、といっても人によって内容が千差万別ですが、捨てる内容も様々ということになるでしょうね。

ただ、この本で佐藤さんが最初に記しているのは、自分に備わった歪んだ価値観のことです。

歪んでいるかどうか、これが分かればきっと捨てられるんでしょうが、長年大切に育んできた価値観を、人はそう簡単に捨てられないと思います。

だから苦しむのでしょうか。

ここでいう、捨てるという意味なんですが、決して逃避するとか、いやなものは見て見ぬふりをするとか、そういう表面的なことではなく、自分が大事だと思っているものを、自分で認識して、あえて捨てる、ということだそうです。

子供に対する期待を捨てる、夫・妻に対する期待を捨てる、世間体を捨てる、名誉を捨てる、収入を捨てる、等、捨てるべきものがこの本にはいろいろ記載されてます。

これだけ捨てられたら、本当に楽になりそうな気がします。

確かに、もういいや、と捨てて、いつの間にか与えるほうになってて、そうしたら、どういうわけか、いっぱいもらってた、という経験を私もしてます。(よろしかったら、私の過去の記事「自分を受け容れるということ」シリーズ読んでくださいませ\(^_^)/)

でも、いつの間にか捨ててた、という状況でしたので、これを意識的にするのは難しいでしょうね。

では、無意識に捨てるということができるのでしょうか。

私はできると思えるんです。

割と簡単なんです。

というと、本当だろうな、うそだったら責任取れよ!とかいわれそうですが、まず、そういう考えを捨てるところから始めたらいかがでしょう。

つまり、これは自分にとってメリットあるからやろう、こんなことやったら人は自分をどう思うだろう、だからやめよう、とかいう考えをやめてみる。

もちろん、じゃあ人に迷惑かけてもきにするのはやめよう、という無責任な態度を言っているわけではないんです。

人から見た自分の姿ばかり考えるのはやめたらいかがでしょう、ということ。

無責任な人は、もともと真に悩んでいないのではないか、と私には思えるので。(もちろん、個人の勝手な意見ですけど)

少し前に書いた、あいさつ、の記事と同じことですが、どうしてお前は私にあいさつしない、どうしてお前は私のいうことをきかない、どうしてお前は・・・・・

お前は、ばっかりですと、自分がなにをしたいのか、わからなくなってしまうと思いませんか?

人の目ばかりきにしてる、というのは、自分では決して動かず、自分の権利ばかり主張してそれをもらえるのが当然だ、と、実力もないのに王様のいすにすわったような気で、周りにわがままを訴えているだけのような気がします。

昔の私がそうでしたので。

こんな人間誰も相手にしませんよね。

だから、よけいこういう人間は回りにむかついて、全て環境のせいにするような気がします。

私がそうでしたので。(しつこい)

だから、いっそのこと、座ってないで、自分で動いちゃえ、てことなんですが、すわるのに慣れてしまっていると、動くのがおっくうになってしまう。

うーむ。これがやっかいだ。

動けないなら、少しずつでいいから、自分の持っているやっかいな荷物を、捨て始めてみるのはいかがでしょう。

もしかしたら、知らない間に動いている自分がいるかもしれない。

少しずつ少しずつ。

いきなり動くとけがするかもしれませんので。

運動と同じように、心のストレッチしてから、少しずつ動いたらいかがでしょう。
posted by kurasan at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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