2006年08月03日

自分を受け入れるということ(12)




成功、ということについて考えてみました。

私は、自分自身、とても社会的に成功しているとはいえないと思っています。

社会的な成功とは、年収うん千万以上、一戸建て住宅(もしくは六本木ヒルズ(笑))に住み、ランボルギーニに乗り、バリバリ自分の会社を切り回す若手社長、のような人をここでは指すことにします。

私はといえば給料もそこそこ、地位も50歳にして、いわゆる課長職。(先日、部長の昇進試験に落ちてしまいました。これで何度目の挫折かな?)

過去にも課長の昇進試験でも何度も落ちてますし。(出世というものに見離されてるかも知れません(^_^;))

大学入試も2浪しましたし、どうも試験と相性が悪い(そういう問題じゃないか)。

試験に落ちると、やはり落ち込みます。

自分が社会から否定されているような気がして。

会社の昇進試験では、それをより強く感じてしまいます。

なにせ、一緒に受けた一握りの人たちが昇進し、後の人はそのままで通常通りの業務をこなしていく。

会社という狭い世界のなかで、逃げ場が無いわけです。

試験のすぐ後は、社内の周りの目がどうしても気になります。

追い討ちをかけるように、昇進の発表が社内中に流されるのですから、気の小さい私のような人間は、いやでも周りの目が気になってしまいます。

20歳代で会社を立ち上げ、年収が億単位の方々がどんどん出現しているのをみて、正直いつもすごいと思ってます。

友人が若いうちにMBAを取り、何回か失敗した後、事業を順調に拡げているのをみて、才能の違いか、と思ったりしてます。

先見の明がある人は違う!

その度に、ついそういう人と比較して、自分はどうしてこううだつが上がらないんだろう、と思ってしまいます。

やはり、生まれながらの性格か、器量か、才能か、運命か、そういうものが違うのかしら、なんて責任転嫁して、ちょっぴり自分をなぐさめたりしてます。

ただ、最近少し考え方が変化してきました。

そのお陰かどうかは分かりませんが、昔に比べて格段に生きるのが楽になってきました。

挫折に慣れたのかも知れません(^_^)。

それもあるかもしれませんが、少し考え方を変えただけで、本当に楽になってきました。

挫折に対するワクチンといっていいかもしれません。

それは、「状況を受け容れる」ということと、「その状況に感謝する」ということ。

これを実際にやってみると、あら不思議、という感じで、立ち直りがすごく早いのです。

こんな自分でも会社はよく雇ってくれている、昇進の候補に挙げてもらえるだけでなんてありがたいんだ、そして引き続き、自分の一番好きな仕事をやらせてもらえる。

私は、昔から人に教えるということが好きだったみたいで、塾の先生のアルバイトをやったときも、とても日々充実してましたし、会社で製品担当をしていたときも、新製品の教育がとても楽しく、毎晩12時過ぎまで会社にいて準備しているときもとても充実してました。

そして今は、新入社員研修という仕事を天職と考えやらせてもらってます。

それを考えると、色々会社に対して、感謝の念が先に出て、昇進試験に落ちたことなど、どうでもよくなってくるのです。(どうでもいい、というのは言いすぎかもしれませんが)

駄目な自分でも新入社員教育という、人材育成の根幹を任せてもらっている、貢献できている、というように自分を受け容れられるようになってきました。


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前回、成功したいと思いながら、実は失敗したいと思っているかもしれない、ということを書きました。

ある母親は子供が朝起きられなくていつも文句をいっている。

起こそうと思っていても失敗ばかり。

いつもいつもいらいらしている(ようにふるまっている)。

でも、本当は子供が起きれるようになって欲しくないかもしれない。

いつまでも自分に頼ってもらいたい、と、どこかで思っているかもしれない。

ということは、子供を自立させること、子供が自立することが成功して欲しくない、と、潜在意識で思っているかもしれない。

こんな仮説が成り立つかもしれません。(仮説ばっかりですが)

これが親の立場からの仮説だとすると、実は子供の立場からも同じような仮説が考えられます。

つまり、自立しないで親に面倒みてもらいたい、という仮説です。資生堂の会長をされた福原義春さんが、ご自分の著書「「自分らしい仕事」があなたを変える!(青春出版社)」の中で、石原都知事から東京都写真美術館の館長の職を依頼され、引き受けたときの話を書かれています。



東京都写真美術館はJR恵比寿駅から歩いて5,6分のところにある、立地条件は都内でも有数の美術館だそうです。(私は恥ずかしながら知りませんでした。)

館長に就任されたとき、美術館の職員の方々は、言葉は悪いかも知れませんが、典型的なお役所仕事をしていた、というのです。

覇気がない、愛想がない、というのも、別にお客が集まらなくても誰にも文句も言われない、給料もきちんと支給される(これは書いてなかったですが)、つまり日々やり過ごしていれば無難に生きていける、という状態だったそうです。

福原さんはこの美術館に目標、ビジョンをかかげ、見事に覇気の無かった、というよりも出せないでいた職員の方々を生き返らせ、美術館の評判を高めることに成功したそうです。

さすがに、大企業を育てた方は違う、と思ってしまいます。

ただ、この本を読んでいて思うのは、福原さんという人が何を優先しているか、大事にしているか、ということがはっきりしている、ということなんです。

それは、いきいきと、はつらつとした人生を送る、ということだと思います。ご自分も、そして周りの人も。

自立させたくない、したくない、というのは、このいきいき、はつらつがどうも受け容れがたい、という状態なのではないか、と、自分の経験から思えるのです。

そういえば、ぬるま湯の中の蛙の話、ご存知ですか。

なべの中の水に蛙を入れて、なべを火にかけると、はじめはぬるま湯で気持ちがいい(のかどうかは分かりませんが)けれど、段々熱くなって、気がついたら湯で蛙になっている、というお話。

熱くなったと気がついても、蛙はもう動けないんだそうです。

体力無くなってしまうんでしょうか。

先ほどの美術館の話を読んで、この蛙を思い出しました。

何事も無く、無難に過ぎていくうちに、周りの変化についていけなくなってしまう。

これは、実は私自身のことでもあります。

仕事に慣れてしまうと、現状に疑問を持たなくなってしまう。

慣れた世界から離れるのがおっくうになる。

違うことをするのが怖くなる。

これは、最初に書いた、自立するのが怖くなる心理と似てますよね。

つまり、慣れてしまった現状から違う世界へ行くのが怖くなる。

世の中には色々な人がいますから、違う世界へ平気ですいすい行ける人もいれば、今の自分の世界を後生大事に守っていくのが性に合ってる、という人もいると思います。

一番困るのは、何がいいか、何が一番自分に合っているか、それを示してくれる正解、というものが、どこにもない、ということだと思います。

先ほどの、福島さんは、自分のメンターを持つことが大切だ、と仰ってます。メンターとは、自分の進む方向についてインスピレーションを与えてくれる人だということです。

以前ご紹介した、小林正観さんは、人の苦しみは、全て思い通りにならないことから生ずる、と仰ってます。

それぞれの世界のトップクラスの方々の、貴重な体験や含蓄あるお言葉を聴いていて思うんです。

幸せや成功とは、人とのかかわりのなかで、自分を受け入れ、自分とその周りの人々が、共にいきいき・はつらつとした生を体験しながら成長していくことなのではないか。

そして、それを自分がどう受け入れ、どう考えるか。

トップクラスの方々は、周りの目を受け容れながら、どうしたら自分のできることを最高のレベルに引き上げるか常に考え、それに向かって小さなことでも常に実行している人々ではないかと思います。

私も、何度も駄目な自分に気づかされますが、その中で自分のできることを最大限実行できたら、と思ってます(まだまだですけどね(^_^)/)。
posted by kurasan at 06:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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